——
今後の看護婦等養成教育計画について
小野 肇
1,2,3
1神奈川県医師会
2神奈川県衛生学院
3神奈川県衛生学院付属汐見台病院
pp.723-728
発行日 1975年12月25日
Published Date 1975/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906939
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
I.神奈川県の医療事情
神奈川県は戦後の混乱期のいえないうちに,好むと好まざるとにかかわらず,京浜メガロポリスの中にあって,大規模重化学工業の発展,商業その他の伸展,東京のベッドタウン化などによって,終戦当時200万人の人口は,昭和49年には625万人と驚異的な増加をもたらした,そのため本県の教育・住宅・交通・水道,その他あらゆる施策,特に社会福祉・保健衛生施策を根底から揺さぶったと言っても過言ではない.
疾病構造の変化,患者の激増等は本県の医療事情に大きな変革を来し,医療機関の増設等は当然医師をはじめ医療従事者の不足を招来し,とりわけ看護婦等の充足が不可能となり,看護婦等の過重労働は退職に結びつき,医療機関における看護体制は全くパニック状態に陥り,新設大病院の病棟開設不能,既設病院の病棟閉鎖および有床診療所の病室閉鎖などが続出している.このことは一般住民の不幸であり,地域医療対策上ゆゆしき問題であると同時に,このまま放置すれば看護婦等の不足,給与の過当つり上げなどにより,医療機関の崩壊は火を見るよりも明らかである.
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.