特集 世界の看護教育制度
ポーランド人民共和国
南 裕子
1
1高知女子大学
pp.682-686
発行日 1974年11月25日
Published Date 1974/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906823
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Ⅰ.看護教育の概況
第2次世界大戦は,ポーランド人民共和国(以下ポーランドと略す)に,ばく大な損害を与えた.経済的には5160億ドルの損害であり,600万人の死亡者を出した.1938年には,8校あった看護学校のうち,7校までドイツの占領軍によって廃校にさせられた.6674人の看護婦が,8年後の1946年には,6064人に減少した.これらの看護婦の多くは,戦争や地下組織の軍隊や,強制収容所から,かろうじて生還して来たか,または占領軍から逃亡して来た人たちで,健康体であるとはいえなかった.彼らは病気がちで,濃厚な治療が必要であったり,容易に感染して危険な状態になりかねないほどであった.
訓練を受けた看護職員数は極度に不足しており,社会の基本的なニードを満たすことさえおぼつかない状態であった.新しい看護学校の設立が切望されており,建物や教材の不足による困難を乗り越えて,1945年ついに3校が開校された.
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