扉
十一面観音像
伊東 洋
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1東京医科大学脳神経外科
pp.466-467
発行日 1998年6月10日
Published Date 1998/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436901573
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数年前,ある学会で松江を訪れた時,K教授とM教授のお誘いで近隣の美術館と寺見物に同行させて戴いた.田舎道を車で走ること数十分,かなりの山懐まで走ったような気がする.行く先は足立美術館で個人の収集品としては借景の庭園とともに,すばらしいものであった.さらに安来の天台宗の寺として栄えた清水寺に廻った.私にとって,その後の「変化観音」に興味を持たせるに十分な寺であった.しかし,肝心な十一面観音像はこの寺が作ったと思われる高い台座の上にあり,観音像の顔も細かい部分を見てまわることは不可能であったが,その容姿は珍しく男性的な像で如何にも出雲の血の流れを感じさせるものがあった.K教授は折角の面相が能く見えないためがっかりされたようであった.このような手合いの保存,展示はよくあることで,文化財を知ってもらうことの意義はさらさら持ち合わせていない.(あるいは取り決められた防火保持のためかもしれないが)この場所で初めてK教授から十一面に関して面相の意義を教えて戴いたが観音像が怒りの面も,慈悲の面もあり,「心経」に「後頭部のそれは(一個の面相)善悪衆生をみで怪笑?し悪を改めて道に向かわしめる」との意味の記述もあるが,十一面観音像の持つ仏面の冠の豊かな意味に興味をそそられた.井上靖氏によれば十一面観音像は「超人的な崇高さと人間的なものが一つの像に刻まれるが故に心を引かれる」という.
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