教育の眼
言葉の教育(2)
佐藤 忠男
pp.545-549
発行日 1974年8月25日
Published Date 1974/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906804
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日本語は,相手に対する自分の関係と立場,ということを強く意識することなしには使えない言語である.1人称,2人称が数えきれないほどであり,相手と自分との関係によって,その場その場でそれを適切に選び直さなければならない.と同時に,その1人称2人称の選び方によって,他の言葉の選び方もおのずから違ってくる.例えば,語尾を,‘です’にするか,‘だ’にするか,‘だよ’にするか,‘ございます’にするか,‘じゃない’‘じゃないか’‘じゃないかよ’等々にするか,それは相手を,‘君’‘あなた’‘お前’‘あんた’‘おい’等々のどれで呼ぶかによって千変万化するのである.
その結果,われわれは,他人に話しかけるということにものすごく難渋する.われわれは日常その難渋のなかにいるから,それを普通のことであるように思い,難渋を難渋と感じることすらなしに過ごしているが,いったん視野を広くして,日本人の言語生活を国際的に比較した場合,われわれ日本人が総じて一種の言語障害の状態にあるということがはっきりするのではあるまいか.
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