私の発言
教育学部における看護教育のあり方
小島 操子
1
1徳島大学教育学部
pp.161-165
発行日 1974年3月25日
Published Date 1974/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906754
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看護教育は大学で
多くの方々から色々なアドバイスを受け,十何年間慣れ親しんだ臨床看護の場を離れて,教育学部での看護教員養成課程の看護教育に携わるようになって,早4年の歳月が流れようとしている.全く未開の場に踏み込んで,無我夢中で過ごしてきた年月である.臨床看護をこの上なく愛し実践する中で考えてきた看護の教育は,教育学部のそれとはおのずからその目標を異にしていた.しかし,看護の基礎教育は,将来どのような方向に進もうとも根本において同じである,という信念のもとに,教育学部における看護教育に挑戦してきた.そして既に3回,卒業生を送り出し,信念を貫ぬく自信のようなものを得ると共に,本課程と,これに密接な関係のある衛生看護高校(以下‘衛看’と略す)に対して,私なりの考えをもつようになってきた.
本課程の教育に4年近く携わってきて最も強く感じる事は,やはり,看護の教育は大学で行われるべきだという事である.1年半,教養部に席をおき(2年生当初より看護のカリキュラムがぎっしり組み込まれているが),広く深く身につけた一般教養は,その後の看護教育にさまざまな形で影響を及ぼしている事を強く感じさせられる.すなわち,名実ともに大学生としての教育への導入がなされ,専門教育をうけるレディネスができて送り出されてきた学生たちには,思考の展開,問題意識のもち方,創造性の豊かさ等々において,教室で,実習場でしばしばハッとさせられるからである.
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