連載 社会思想史の旅・6
イギリス革命とその思想
田村 秀夫
1
1中央大学経済学部
pp.57-61
発行日 1969年4月1日
Published Date 1969/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906161
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
絶対王政の危機
1603年4月,スコットランド国王ジェイムズ6世は,まえの月に国民敬愛のうちに歿したエリザベス女王のあとを継いで,イギリス国王としての戴冠式をあげるために,スコットランドの首都エディンバラを出発してロンドンに向った。国王の一行はその途中でハンティンドン州のヒンチブルックに立ち寄り,地元の有力なジェントルマンであるオリヴァ・クロムウェルの家を宿にした。このクロムウェルと同姓同名の甥が,のちにピューリタン革命の指導者になるクロムウェルであり,『緋文字』の作家ホーソンの『伝記物語』によると,当時4才のクロムウェルが皇太子チャールズと遊び,1つ年下のこの王子をなぐって泣かせたといわれている。これは,革命勃発後の二人の対決を予想させるためにホーソンが作ったフィクションであろうが,現存するハンティンドンの教会記録は,この物語のある意味における真実性を伝えているようにも思われる。そうした感想をもったのはクロムウェルの故郷ハンティンドンを訪れたときのことであった。
クロムウェルの母校シドニー・サセックス・カレッジのあるケンブリッジから,乗客もまばらな地方バスの二階に乗り込み,冬枯れの田園風景を眺めること50分ほどで,人口5300の地方都市ハンティンドンに着く。街を貫くハイ・ストリートの中央にオール・セインツ教会があり,その内部にはクロムウェルの父ロバートの墓がある。
Copyright © 1969, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.