連載 社会思想史の旅・3
新世界の発見とユートピア
田村 秀夫
1
1中央大学経済学部
pp.53-57
発行日 1969年1月1日
Published Date 1969/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906117
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コロンブスとヴァスコ・ダ・ガマ
ルネッサンスの跡をたずねてイタリアの諸都市を回り,最後に「アドリア海の女王」たることを誇ったヴェネツィアと地中海貿易の覇権を争ったジェノヴァに着くと,まずわれわれの眼にはいるのは,駅前広場に立つコロンブスの巨大な大理石像であろう。ここはアメリカ大陸の発見者コロンブスの生地である。この街の中バピアッツア・デ・フェッラーリから東ヘダンテ通りを進むと,旧市街への城門ポルタ・ソプラーナの巨大な二本の円筒状の塔が見えてくる。1155年に築かれたこの城門は,城壁の一部を残して,すぐ丘の上の住宅に接続しているが,その威圧するような重みのある入口への上り坂の傍らに,ささやかな石造りの二階建ての家がある。この蔦で覆われた家がコロンブスの生家であり,1446年ころ,毛織物業者ドメニコを父として,彼はここで生まれた。少年時代から航海に出た彼は,大西洋を西航すればインドに達すると考えるようになったが,彼の計画が実現されたのはスペインの援助によってであり,新世界の発見により世界貿易の中心が地中海から大西洋へ移動したため,ルネサンスの文化とそれを支えたイタリア諸都市の繁栄は,次第に衰退することになった。
イタリアから紺碧の地中海を飛んでバルセロナに着くと,市街は古い石造りの堂々とした建物が多く,サラセン風の感じを与える屋根も目立つ。
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