特集 看護教育研究会夏期講習会集録
基礎教養科目の考え方—ものの見方とつかみ方
勝部 真長
1
1お茶の水女子大学
pp.35-48
発行日 1967年9月1日
Published Date 1967/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905874
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文化と教養の出発点
教養ということばは英語のculture,あるいはドイツ語のBiltungということばの訳だろうと思います。cultureはご存じのように文化といういみにも訳します。もとのことばは土地を開拓するとか,培養するということだったんです。そこからきて,第1に田畑を耕す,開拓あるいは耕作といってもいいですが,土地を耕すことが文化とか教養ということの出発点であったわけでありますが,そこからしてさらに内面的には心を耕す,心田ということばを使えば心田を耕す,それが文化とか教養ということのいみに変わってくるわけですね。
人間が生きてまいりますのには,当然われわれを取り巻く自然環境を,人間に住みよいものにつくり変えていくことが必要になります。いちばん端的な例は,たとえばロビンソンクルーソーが無人島に流れついた,この間ヨットでコラーサ二世号というのが太平洋を横断して無事に横浜にっきましたけれども,もしあの船が台風にあって途中でどこか無人島にでも流れついたといたします。すると船に乗っていた鹿島さんという人はどうしなくちゃならないかといえば,ロビンソンクルーソーがやりましたように,無人島でまず食べものを獲得しなくちゃならない。ロビンソンクルーソーは船にあった小麦その他の食べものの種を大急ぎで沈みかかった船から岸にかつぎあげて,まずそれを確保した。
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