ものがたり教育史 日本の女子教育・その4
私立女学校の花ひらく
中嶌 邦
1
1日本女子大学文学部史学科
pp.63-66
発行日 1967年7月1日
Published Date 1967/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905853
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女流民権家生る
「当時名うての弁者,代る代る演じ去りし後へ登壇したるは,是ぞ岸田俊子とて,年も十九の花盛り,白襟三枚襲ねに島田髷の出立ち,以前大内へ宮仕へせし身とて,上品なる動作最もしとやかに壇上に現わるゝや,喝釆先づ湧くが如し(中略)其の音声は高きにあらされど澄み渡りて,四隅に透り,説き去って秩序あり,段落あり,滔々数万言,淀みなき間に,又人に感動を与ふの意気あり」(明治32年報知新聞記事)
明治10年代,自由民権運動という国会開設要求の運動が広がっていた時,岸田俊子は若い身空で,婦人の立場から,その権利の主張を全国にわたって,時には投獄のうきめにあいながら,遊説していった。それは,各地で婦人達に大きい刺激を与え,景山英子を始めとして多くの政治活動に参加する婦人を生んだ。当時流行した,政治小説の中でも,政治演説を聞く婦人の姿が描かれているが,広津流浪の「女子参政蜃中楼」は,政治活動を行う婦人が,その主人公である。
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