——
看護倫理への提案・最終回
芝田 不二男
1
1高知女子大学
pp.15-20
発行日 1967年1月1日
Published Date 1967/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905751
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
間奏曲
はじめに予定の変更についてお断りをしておきたい。わたくしがこの連載の稿をおこしたのは,例の「看護学校看護学教授要目案」が公表される前であり,看護倫理が学科としても,しばらくは存続するという前提があった。むろん学科としての看護倫理がなくなっても,こうした視点の存在理由は,何がしかは残るであろうし,場合によっては,学校によって独自のカリキュラムを作る中で,看護倫理を学科として存続させることがあるかもしれない。しかし全体としての看護学の構想が変れば,この学科の取扱いが変るのは当然であるし,わたくしのかねての持論としても,看護倫理が看護学の新しい構想の中に,発展的に解消することは,よろこばしいことだと考える。当初わたくしは,第一章としての「職業倫理としての看護倫理」につづいて,第二章で看護道徳,慣習,法規などをとりあげ,それらの現代的意義を検討し,第三章で,新しい看護倫理の構想をまとめる予定であった。ところが上記の事情に加えて,昨今の身辺の多忙が,それを許さなくなったので,この「教授要目案」についての感想をはさみ,二,三の私見を加えてこの連載を終え,予定した私見は,他の機会をまちたいと思う。
さて本誌7月号の特集は,まだ先のことだろうと高をくくっていた,教授要目案の詳細を紹介してくれた,その仕事にたずさわった人びとも,案を受けとった現場の先生方も,ともにその革命的な改革をよろこんでおられるようである。
Copyright © 1967, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.