近代助産模様
最終回
興梠 忠夫
,
古賀 敏子
1,2
,
宮 とり
2,3
1泉北郡産婆組合
2大阪府産婆会
3大阪市産婆会
pp.62-63
発行日 1971年9月1日
Published Date 1971/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204215
- 有料閲覧
- 文献概要
開業のころ
わたしが現在の地で開業いたしましたのは26年前でございます。その当時,田舎のこととて産婆と申しますとみな70過ぎの旧産婆のかたばかりでした。ちょうどわたしが開業いたしました時より免状のある産婆に取扱ってもらわねばならぬ,という規則になったのでございます。なにぶん20代のものが取扱いいたしますので,若い人にしてもらうのはなんだか頼りなく,またはずかしいとまだ1回もゆかぬ先から,きらわれたのでございます。わたしも開業いたしました上は,1度早くお産があればと思って待っておりましたが,ある日とつぜん,隣村より往診してくれと申してきましたので,さっそくかけつけましたところ,すでに旧産婆のかたがきておられました。産家の申しますには1日苦しんでおりますが,いまだに生まれませんゆえ,1度新産婆をたのんではと思い,およびしたとのことです。産室に通ってわたしはおどろきました。産婦は筵の中へわら灰を入れ,ぼろをしき,その上へ行儀よく産婦を坐らせ,後より他の1人が腰のあたりをしかといだいて,しきりに怒責をさしております。
当時はいずれの産家へまいりましても,ボロばかりで脱脂綿なんかは備えておりません。仕方なくわたしが持参いたした脱脂綿をおいておきますと,翌日,参りますれば,その脱脂綿を赤ちゃんの頭なんかにかぶせてあります。なぜお使いになりませぬかと申しますと,もったいないからだと申します。
Copyright © 1971, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.