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Nursing Researchと大学院—あるアメリカの大学院課程の例から
今井 敬子
pp.50-51
発行日 1964年4月1日
Published Date 1964/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905280
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国立の某大学長が世界を一周し各国の大学を視察してハンブルグ大学にたち寄った時に,この大学の目的はとの質問に対し,ドイツ人は,大学の目的は研究にあるといったそうである。研究ということをこれほど重要に考えているドイツ人をうらやましいと思う。学問の発達には研究が必要であり,研究なくして学問の基盤ぶ力強いものになりうるはずはない。看護が他の学問と肩をならべ,ますます社会の要求に答え,その力を貢献していくためには,何としても日本でも数多くの看護における大学課程と,さらに大学院課程がほしい。
現在,准看,正看の学校制度,保健婦,助産婦,看護婦の一本化,国立短期大学の問題,その他,いろいろな問題がさわがれている中に,またやれやれ一つ余分な問題がふえたと思われるかもしれないが,これほど看護および日本の医療制度に至るまでの問題が表面に出てきた際に,ある程度の長期計画を行なわないで,目先ばかりのうめあわせに奔走していては,きっと将来にその破綻がくるのではないであろうか?これは現状の短期間の計画を無視するという意味ではなくて,現状打開の問題と同時におろそかにしてはならないということである。大学院課程ができれば,看護が学問として確立し,研究課題が解決するという逆は成立しないが,少なくとも指導者をさらに援助し,またこれから指導者になる人をもっとのばしていく機関を設立することはできる。教育とは長期投資で,効果がすぐ現われるものでない。
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