諸外国の教育事情
イタリアの教育
角替 弘志
1
1教育大大学院
pp.41
発行日 1963年5月1日
Published Date 1963/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663904378
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イタリアといえば私たちはレオナルド・ダヴィンチとガリレオの名前を想いおこします。はなやかなルネッサンスを生みだしたミラノ・ゼノヴァ・フィレンツェなどの北部イタリアの諸都市,カトリックの大本山のあるローマは芸術・学問・商業の中心地としてヨーロッパに長い間その繁栄を誇ってきました。全ヨーロッパはイタリアの精神的属領であったといっても決して過言ではありません。しかし,この反面,イタリアはヨーロッパの中で文盲率の最も高い国の一つであります。この明かるい面と暗い面がどうして一つの国に存在するのか理解するためには,すこしこの国の歴史をみなくてはなりません。
繁栄を誇ったイタリアの諸都市は長い間独立した都市国家として存在したのであり,イタリアが統一国家として誕生したのは1861年,今から約100年前にすぎません。マッティーニやカルヴァルディのような英雄の努力によって王制のもとに議会民主々義国として誕生したのですが,最初の35年間に内閣が33回も変ったほどで,必ずしも安定した国家ではありませんでした。そして1921年には鉄道・郵便・工業労働者のストライキという危機に乗じてムッソリニーの率いるファシスタ党が議会の第1党になり,25年には彼は独裁者としての権力を掌握してしまったのです。
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