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看護教育への私の希望
大森 文子
1
1国立中野療養所
pp.23-26
発行日 1962年2月1日
Published Date 1962/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663904140
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はじめに
新制度と呼ばれる看護教育が発足した第1回生入学のさきがけは,昭和22年9月,国立病院付属高等看護学院の22ヵ所であった。当時は現在の保健婦助産婦看護婦法に先立った保健婦助産婦看護婦令が同年7月1日に公布されたばかりで,旧法改正に伴う諸問題が各関係者の間で種々討議されいっぽう労組関係などからもいろいろの働きかけが行なわれて,まったく混とんとした状態であった。
厚生省関係者,国立病院当局関係者などの間にも高等看護学院へ切りかえることについての疑義が多く,まして社会の理解をうるなどということは縁遠い話であった。
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