特集 新教育制度と教育内容
看護教育におけるカリキュラムの変更とその考え方
完成教育と思わないで
北 博正
1
1医科歯科大学
pp.160
発行日 1961年4月1日
Published Date 1961/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663904002
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3年間の看護教育によって,完成された看護婦を作ろうとする必要はないと思う。職場に溶け込んで働いて行くことのできる基礎さえできていればいいのではないか。ある看護学校で教育をうけ,病院に就職したとする。その病院には,他の学校の卒業生もいる。どの学校の教育も,決して一様でないから,その学生は一時期まごつくかもしれない。だが,彼女はやがて自分で者えてその病院の家風に溶け込んで行くに違いない。それでいいのではないか。看護婦学校の先生方は,完成教育をしようとしている。卒業して,その日から役立つということを考えているのだと思う。
私が看護教育について,いささかのひっかかりを感ずる点は,1週何時間とか,1年何週間とかいう形で時間をきめようとしていることである。私は,学生にもっと頭の訓練をする時間を与えることだと思う。細かいことを教える必要はない。基礎があれば自分で工夫してゆけるものである。だから私は,大学なみに時間を与え,休暇を与えなさいとよく云うのである。あんなに,つめ込みの教育をしていたのでは,彼女達は帰ってねるだけになってしまう。
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