主張
完成されない保健婦活動組織
pp.9
発行日 1951年4月10日
Published Date 1951/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200061
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昭和16年に保健婦規則が制定されて以來,保健婦は衞生畑の指導監督をうけて今日に及んでいるのですが,そもそも日本の保健婦の發祥はそれ以前約20年程前にさかのぼり社會事業畑に最初の花を開いたのでした。訪問看護婦或は農村看護婦とよばれ無醫村又は準無醫地域に於て特に活躍をしたものなのです。折から第2次世界戰爭が勃發し,國民保健の問題は強く叫ばれ,政府の健兵健民政策に應えて農村に活動する保健婦は,晝夜を分たず,寢食を忘れて奉仕し,その功績は新聞に雜誌に高く評價されました。其の頃た査たま農村民を對象とする國民健康保險組合の制度が設けられ,町村の組合加入を奬勵する目的で加入町村のために保健婦の設置を國庫が負擔するこうとしたため一層農村保健婦事業は伸展し,盛況の組合が約束する待遇のよいままに次々と保健婦は吸收されていったのです。國が企圖する公衆衞生施策からいえば,保健所を中心とする保健指導體系の中に一環した保健婦活動を實施するはずだと思うのですが,何か國保組合の保健婦は遊離している感じでしつくりしません。もともと國保の保健婦には醫學的背景となるものがないので,働く根底が不安定だから保健婦自身は保健所を唯一の頼りとしているのですが,何せ餘り遠隔だつたり,利用困難な點も少くないという難點があります。
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