連載 私のすすめる本・9
現場に学ぶ
清水 昭美
pp.714-715
発行日 2002年9月25日
Published Date 2002/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903912
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『金と水銀』(講談社,2002)の著者,原田正純医師は,この本の「はじめに」のところで,水俣病多発地区の母親との出会いを述べている.障害をもつ兄第が症状も全く同じであったのに,「兄は水俣病です.下のは水俣病ではなく脳性小児マヒです」と言い,医師が,下の子は魚を食べる前から症状があったので水俣病ではないといっていると言う.当時は,毒物は胎盤を通過しないというのが医学的な定説であった.しかし母親は,亡くなった「主人も上の子も私も同じ魚を食べました.そのとき,この子は私のお腹の中にいました.私が食べた魚の水銀がこの子に行ったに違いなかとです」と言い,さらに「この年に生まれた子どもは,ほかにもこんな子どもがたくさんいるとです」「先生行って見てこんですか.他に何か原因が考えられるとですか」と問い詰める.
水俣病でないと診断された弟は,水俣病の診断の対象とならず,家に独り残され,医師の目に触れなかった.原田医師はこのあと本格的な胎児性水俣病の研究をはじめた.患児を病院に集めて調査を続けたところ,また母親に叱られた.「先生方は診るだけで,治療もしないし病名もつけてくれないではないですか.診察があると付き添いの親は1日仕事を休まねばならないし,困るんです」.
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