連載 職場のエロス・14
乾いたパン
西川 勝
1,2
1老人保健施設ニューライフガラシア
2大阪大学大学院臨床哲学博士課程前期2年
pp.86-87
発行日 2003年3月15日
Published Date 2003/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689900563
- 有料閲覧
- 文献概要
もうすぐ,申し送りだ,朝食後の薬も済んだ。あと半時間もしないうちに帰れる。鼻歌でも出そうな気分を引き締めて申し送り簿に向かう。赤のボールペンで,しっかりと字を書く。「患者総数92名,有熱者なし,特記事項か,さてと…」変わりばえのない深夜勤務だった、相勤は仲のいい准看の学生さん。20代半ばの彼女は,一般病院の看護助手から転職してきた明るい頑張り屋さんだ。早めに申し送りを済まさないと,彼女は登校日だったよな。このぼくも,いつの間にか先輩風を吹かすようになった。それにしても,腹が減ったな。まじめな顔でとりとめのないことを考えていた。
「マサルさん!来て,早く!」緊追した後輩の声に異変を感じ,詰め所を飛び出る。声はすぐ近くの便所からだった。便器にうずくまっている老婆を,必死になって引きずり出そうとしていた後輩は「変なんです,助けて!」と,ぼくに訴える。一瞬,何が起こっているのか分からなかった。一緒になって老婆の体を引き上げたとき,その不自然な重さにドキッとした。老婆の口からパンがはみ出ている。便所から出てすぐの板張りに老婆を横にすると,後輩へ「救急セットを」と叫んで,救命処置に取りかかった。血の気の失せた顔,瞳孔は散大し,頸部にも脈は触れない。
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.