特集 日本の看護・看護教育 私にとっての20世紀
読者に推薦された人がつづる―私にとっての100年,この時
嶋森好子―Yoshiko Simamori
福留 はるみ
pp.670-671
発行日 2000年8月25日
Published Date 2000/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902331
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嶋森さんは,基礎・継続教育の看護教員,病棟の婦長等を経て,平成2年,済生会向島病院の看護部長に就任した.就任当時,向島病院は看護職員の人員不足のため2病室が閉鎖されており,1人ひとりの看護婦は熱意を持って働いているが,看護部の方針が明確でなく,「看護管理が十分にされていない病院」という印象を受けたという.看護婦は,人手不足からくる多忙に加え,看護部と他部門との連動した協働作業が十分にできていない状態だった.
そこで嶋森さんは,各職場に直接赴き,病院全体の状況を把握するとともに,看護部スタッフ全員と面接し,問題の所在を明らかにしていく.その後は,看護婦の理念の明確化,教育婦長の採用および看護管理者の院外教育の開始,他部門と協働した業務改善,業務改革に関する臨床研究等を精力的に行った.その結果,病院組織の各部門における機能分化は成熟し,他部門間との協働がシステム化され,2年後には看護婦の定着率も上昇している.これは,嶋森さんが看護管理者として看護の質の向上を目指し,組織改革のために,緻密で丁寧な下準備と強いリーダーシップを発揮し,組織の各部門全体が相互に支え合い,周囲の関係者とともにケアの質の向上と組織の成熟化を促進した成果であろう.
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