特集 日本の看護・看護教育 私にとっての20世紀
2部 日本の看護・看護教育の100年を振り返って
看護課の設立と地方の看護行政
ライダー島崎 玲子
1
1川崎医療福祉大学
pp.604-606
発行日 2000年8月25日
Published Date 2000/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902305
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戦時中,医療は内務省の管轄下にあり,各県の公衆衛生に関する業務は地方の警察が窓口であった.公衆衛生福祉局は1946年5月11日,「厚生行政機構の改正に関する覚書」を出し,4つの局,衛生局・医療局・予防局・社会局をつくった.さらに1947年3月18日,勅令第18号で8つの局をつくり,その1つに医務局があった.看護課は医務局の下に位置づけられた.日本の近代行政組織構築以来,女性を長とする独立した課が設立されたのは初めてであった.
公衆衛生福祉局の指令は,連絡局で翻訳され厚生省の医務局長に伝達されたが,看護に関する伝達は看護の専門の部署がないために常に混乱していた.サムスは女人禁制の役所に女性が主役となる看護課の設置を試みた.GHQ,SCAPの方針は民主化であったので,行政組織の中での女性の起用は時宜を得たものであった.女性の看護課長出現は日本国民に対しても民主主義に対するよいデモンストレーションであった.
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