連載 人間と教育・6
計画は破られるためにある
上田 薫
1
,
加藤 由美子
1前都留文科大学
pp.404-405
発行日 1993年6月25日
Published Date 1993/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900587
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“記録は破られるためにある”というのは,ときどき耳にするパンチのきいた言葉だと思うが,“計画は破られるためにある”という一見相似した言いかたは,異様というべきであろうか.もちろん計画を立案するときは,だれでもそれをそのまま実現したい,いやできると思っているであろう.記録をつくるときには,それが破られるときのことなど,全く思いやることがないのと同じである.しかし記録と違って,計画は複雑な中身をもつだけでなく,何より未来にかかわる性格のものであるから,予定通りいくことはむしろ稀なのである.だから,計画が破られることは新記録樹立よりはるかに自然であり,異様どころではないといってよい.
しかし人間というものは計画を立てるとき,ふつう意欲的,というより楽観的で,その通りに実施できると確信しやすい.そのため破綻する現実との落差が大きく,“破られるために”という表現に抵抗が大きいのであろう.けれども事実はどこまでも厳しくて,よほど甘く,あるいは大まかに考えぬかぎり,計画通りいくことなどありえないといってよいのである.しかもその際計画に固執すれば,いよいよマイナスが大きくなってしまう.
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