連載 教育と研究,臨床をつなぐメッセージ やっぱり私は,看護師だった!・7
医学モデルも看護学モデルも大切なのに
那須 あい
pp.572
発行日 2011年7月25日
Published Date 2011/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663101813
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がん患者を中心に終末期ケアや疼痛ケア,在宅ケアといった視座を,医師も共有できる時代になった。だから,例えば消化器がんの術後でがんが進行し,腹水貯留による苦痛と呼吸苦と骨転移の痛みを抱えて,消化器外科と呼吸器内科と整形外科を受診しながら自宅での生活を希望するという困難な状況でも,患者と医師と看護師が考える問題にずれが少ない。患者の苦痛を緩和し,患者が望むことをしようとどんどん医療チームができていった。こんなときは,医学モデルを超えて,看護学が重視してきた「ケア」の視座が普及したかなと感じて嬉しい。
一方で,悲しいときもあった。例えば,下肢骨折のため数週間ギプス固定で自宅療養を要する4歳の子どもへの関わり。整形外科医が,あうんの呼吸でギプス巻き介助と合併症予防の指導を期待している。むろんこれは,不可欠な「整形外科看護」。ただし,この子には清潔や排泄といった「基礎看護学」的な問題もある。それに,幼稚園を休む影響や遊びの工夫といった「小児看護学」的な問題もある。さらに,仕事を休めない親が混乱しているという「家族看護学」的な問題だってある。看護師は,医師が処置室を去った後,これらの問題にも懸命に対応する。でも,この状況で医師は,多様な看護学の視座で対応する豊かな看護に,ほとんど気づくことができない。そして,次の患者を診察して「どうして注射と言ったらすぐに準備ができないんだ!」と訝る。
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