連載 病と看護の視座—リンダ・リチャーズの人と思想・9
ナイチンゲール・モデルとリチャーズ・モデル
小野 尚香
1
1大阪大学医学部保健学科
pp.1150-1153
発行日 1997年12月10日
Published Date 1997/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662901704
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英国,そしてフランスの病院を訪問して,米国に戻ったリチャーズLinda Richards〔「米国最初の有資格(訓練された)看護婦America's first trained nurse」〕は,ボストン市立の病院において,総婦長matron of the hospitalならびに新設予定の看護学校監督superintendent of the training schoolの任務に就いた。1878年1月のことである。リチャーズは,看護を組織化し,看護婦を養成する仕事に着手したが,その際に,ナイチンゲールの方式ではなく,看護学校と看護婦そして看護業務を,病院の管理下すなわち医師の管理下におくことを決断したのである。
本稿では,英国の病院と看護に対するリチャーズの印象と,ボストン市立病院におけるリチャーズの試みにスポットをあてる。ベアーEllen D. Baer1)は,“Nursing's divided house-an historical view”において,リチャーズによって確立された看護組織の方法を「リチャーズ・モデル」として考察し,興味深い視点を示している。
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