連載 看護の高等教育化と今後の課題・2
報告書「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」とそれを取り巻く状況等
正木 治恵
1
1千葉大学大学院看護学研究科
pp.400-404
発行日 2010年5月25日
Published Date 2010/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663101463
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はじめに
平成11(1999)年4月,筆者は大室看護教育専門官からその職を引き継いだ。大室看護教育専門官の16年間文部省行政官という経歴に比し,まったく行政職の経験のない筆者であったが,日本の看護系大学の初期の卒業生ということから,背中を押され本職についた。
当時は看護系大学数が急増し,100校にならんとしている時期だった。その10年前の1990年では11校だったことを考えると,この10年間で10倍の数に達しようとしている現実は,ある意味夢のようなことだった。前回の大室氏の論文にあるように,この背景には,平成4(1992)年制定の看護師等の人材確保の促進に関する法律の影響が大きいが,本法律の立案にも看護職が大いに貢献していた。テレビの映像に映し出された白衣を着た看護婦たちのデモ行進は,強く印象に残っている。3K(「きつい(Kitsui)」「汚い(Kitanai)」「危険(Kiken)」)といわれた看護の仕事の労働条件の劣悪さに,看護職自らが立ち上がり訴えている姿だった。そのような諸先輩たちの努力と行動の上に今が在ることに感謝の念を抱き,行政という立場で自分にできるベストな判断や行動をしていく心構えを築いた。
筆者は平成11(1999)年4月から14(2002)年3月まで看護教育専門官を担ったが,その間に省庁も再編され,文部省から文部科学省と名称も変更された。20世紀から21世紀に移るこの時期は,日本の仕組みや価値観が大きな転換期に入った頃だった。
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