- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
私が「アディクション」という言葉をはじめて知ったのは15年くらい前である。少なくとも当時,私の周囲にいた看護師や医師の誰1人として,この言葉を知らなかった。そして私が“アディクション看護”という言葉を使い始めたのは,2002年に日本アディクション看護学会が設立されて以降のことである。精神看護の領域でもつい最近までは,「アディクション看護」という言葉が用いられることはほとんどなく,強いて言えば「依存症看護」という表現がその代用であった。今でも精神看護学の教科書の目次には,「中毒性疾患の看護」「依存状態の患者の看護」「アルコール(薬物)依存症の看護」といったタイトルが大半を占めている。
「依存症看護」というとオーソドックスな「アルコール依存症」や「薬物依存症」を連想しやすく,「行動嗜癖障害」の範疇であるギャンブル依存や買い物依存,虐待などをイメージしづらい。また,精神科看護領域の特別の病気として捉えられてしまう。このような背景から私個人としては,「アディクション」という新しい言葉を用いることで,アディクションが精神科だけでなく内科外科,産婦人科,小児科,在宅看護や地域看護など,看護師がいるありとあらゆる現場に存在している事象であることを一斉にアピールしたいと考えていた。そういった意味でも,「アディクション看護」と称した本書はまさに,アディクション看護の開拓者的,道しるべ的な役割を果たしている。本書にも紹介されているように,看護師はどこにいてもアディクションの患者さんに遭遇するはずである。看護師自身がアディクションに嵌ってしまってもおかしくはない。それだけどこにでもある蔓延した病気なのである。しかしいざ,このことを授業で学生に教えようとすると結構難しい。学生からすれば,わかっているけれどやめられない事象はあまりにも日常的で,そんなことはいくらでも身に覚えのあることだからだ。なぜそれが病気なのか? 実際,医学の疾病論の教科書で,アディクションの説明をみることはない。
Copyright © 2009, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.