- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
はじめに:自身のがん体験から
「私は,死んでしまえばどんなに楽だろうと考えたことがあります。今日の授業を受けて,私の祖先が運命的に出会い家族になって,私がこの世に生をうけたのはすごいことだとわかりました。死を考えた自分がなさけない」
10年ほど前から,小中高校生を対象とした“いのちの授業”を行っている。これは,最近訪問した中学校から送られてきた感想の一部である。
授業のきっかけは,15年前の自身のがん体験である。突然の腹痛から病院にかけこみ,過敏性腸炎と診断された私は,その後半年間にわたり痛みのため外来を訪ねたが,「がんではないのだから,少々の痛みはがまんしなさい」と告げられていた。しかし,たまたま出会った別の医師に入院を勧められ検査の結果,かなり進行した胃がんが発見され,胃全摘の手術を受けることになった。
入院前夜,「がんだったら告知してほしいか」と夫に問われ「怖いから知りたくない」と答えた私に,実際の告知が行われたのは手術後10日ほど経ってから。「残念ながら悪性でしたので,胃と脾臓を全部とりました」「手術後は,ダンピングという副作用があり……」基礎的な知識を持ち合わせてない身には,専門用語を使った医師の言葉は,うわの空。同席されていた看護師さんからメモを受け取り,ようやく自身の体に起こっていることの重大さを実感した。それまで,医療のことは専門家にすべてお任せだった私は,がぜん知りたがりやになった。退院後は,外来で5年生存率20%を宣告され,死の恐怖におののきながら,図書館に通いつめ,先輩たちはいかに死に向き合い,最期の時間をどう生きたのかを知りたいと願うようになった。ちょうど,近藤誠著『患者よ,がんと闘うな』(文藝春秋,1996年)の出版を契機にした「がん論争」が盛んなころのこと。私自身も,遺された時間が少ないのなら医療も含めて,自分で納得できる選択ができるようになりたいと考えた。
Copyright © 2008, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.