特集 看護の歴史はおもしろい 語り継がれる人と時代
第2部 先達に学ぶ
苦労をバネに後輩を育てた森藤相子さん
川島 みどり
1
1日本赤十字会看護大学
pp.1020-1021
発行日 2006年11月1日
Published Date 2006/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663100531
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温かい包容力の源
森藤相子さんとは,30年以上のおつきあいである。初めてお逢いした対談の場で,赤十字の出身であると聞いて驚いた。まだ現場の看護婦であった私が,病院で身近に接してきた婦長さんたちとはまるで違った雰囲気だったからである。私自身も卒業直後から赤十字病院に働き,規律と厳しさ一本槍の空気で育ってきたので,相手を温かい包容力でつつみこんでしまうような,森藤さんの独特な雰囲気に驚いたのである。とはいえ,ときおり眼鏡の奥から送られてくる視線は,心の奥底まで見透されてしまうような鋭さもあった。それらは,戦後の波瀾万丈の15年間に身についたのかもしれないと思った。
聞けば,日本赤十字社静岡県支部の看護婦養成所を卒業してまもなく,召集令状1枚で目的地も知らされぬまま,中ソ国境の最前線である虎林陸軍病院に20名の同僚とともに着任した(1944年、敗戦の前年であった)。その地名は,私が調べた地図には載っていないが,軍事的に重要な場所であったらしい。敗戦直前にソ連軍がやってきて,敗戦とともにその監視下におかれたが,中国内戦中の八路軍(中国人民解放軍)に引き継がれて,1958年,最後の引き揚げ船で帰国するまで,解放軍の看護婦として戦火をくぐり抜けながら,中国各地を転々とされたのだった。
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