連載 ニュースウォーク・57
「本人の意思」どう尊重—拉致家族,住基ネット,臓器移植
白井 正夫
pp.1086-1087
発行日 2002年12月10日
Published Date 2002/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662902720
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季節の強い風が「マンセー,マンセー(万歳,万歳)」のうなりをわが家にまで運んできた。北朝鮮へ帰国するため新潟駅に降り立った人たちと,出迎える人たちとでわき上がるどよめき。駅に駆けつけ,歓迎陣の朝鮮の人たちのなかに幼なじみの顔を見つけた。
私の故郷,新潟市は戦前から航路がある朝鮮半島とはなじみ深いまちである。私自身も隣近所の何人かの朝鮮の子どもたちと遊び育ってきた。在日朝鮮人の祖国帰還協定が結ばれ,第1陣が新潟港から北朝鮮に向けて出航したのは1959年12月。幼なじみが帰国した話も風の便りで聞いた。駅やまちから響く「マンセー」のうねりは,いまもある感慨をもって記憶から消えることはない。
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