連載 衛生制度の開拓者たち—明治はじめ京都における政策をめぐって・18
生(いのち)を衛(まもる)
小野 尚香
1
1大阪大学医学部公衆衛生学教室
pp.230-233
発行日 1995年3月10日
Published Date 1995/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662901114
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祗園祭りの巡行では,長刀鉾が先頭をきってすすんでいきます。平安京の時代,怨霊をなぐさめ,怨霊による業と考えられた疫病の退散を願ったことが,この祭りのはじまりであると伝えられています。京都の街角に矛を立てて神を祭ったというその習わしが,長刀鉾に重なっているようです。
「生(いのち)を衛(まもる)」ことが,明治はじめに政策課題として選択されました。明治5(1872)年11月に開かれた京都療病院は,京都の衛生行政活動の中枢機関としての機能を担っていきます。開業式の日,のちに知事となった京都府官槇村正直は,病院設置の目的は疾病の予防と治療にあると述べています。また「健康天寿ヲ保チ職務勉強ノカヲ増長シ土地国家ノ繁栄ヲ助クルノ心掛肝要タルベキ也」と主唱しました。
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