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年があらたまってまず想うのは,馬齢を重ねるにつれて過去の肥大が進むということである。年のせいか近頃になって遠くなったはずの明治の相馬事件のことがふと想い出され連想は大正を越えていきなり昭和のライシャワー事件に飛んだ。もちろん前者(1883年,明治16年〜1895年,明28)と後者(1964,昭39)の発生した2つの時代には歴史的に大きな違いがあり,精神医療,精神障害者の処遇においても比較にならぬほどの隔りはある。しかし社会的存在としての彼らの位置,この社会が彼らに負わせている性格の点では,それほど本質的な相違は見出されず,呉先生のいわゆる「二重の不幸を重ぬる」嘆きがこの国において,まだ解消されていない意味では,相馬事件から一挙にライシャワー事件に想いが飛んでもこれを思考の飛躍とは呼べないような気がする。
相馬事件で大切なことはこの事件が大きな動因となって,わが国の精神障害者に対する最初の法律である精神病者監護法(1900,明33)が成立したという歴史的事実である。そしてとくに重要な意味を持つのはこの法の成立に見られるように,そして精衛法の改正(1965)にも示されるように,わが国の彼らに対する法律が障害者の問題の内側から採り上げられず,その外側から,殊に政治の舞台に躍り出たことによって成立していること,そしてこの事件の続いた明治中期の彼らに対する処遇殊に私宅監置の慣習の中から,この事件が生まれこの法律が成立し,かつ育てられて来たこと,さらに精衛法(1950,昭25)の施行によって廃絶を見るまで私宅監置がえんえんと続き法的権威のもとに温存され,いわゆる「精神医療の原型」(吉岡)となっていること,さらに一方では呉先生の私宅監置に関する科学的な調査に基づく,きびしい批判と無拘束,開放,作業の天才的な実践が,その歴史的な意味の重さにもかかわらず,わが国の精神医療の風土に定着しなかったことであろう。
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