発言席
母子保健活動の実践を通して
畠山 富而
1
1岩手医科大学小児科
pp.809
発行日 1979年11月10日
Published Date 1979/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207873
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岩手の母子保健活動は,昭和9年の大飢饉を契機に,故根本四郎先生(当時,岩手医学専門学校教授),南出英憲先生(当時,盛岡日赤病院小児科部長)と仲間の産婆,看護婦達により黎明がもたらされた。とくに産婆,看護婦の方は自ら進んで貧困,病気の不安におののく僻村へ赴任し,埋没し村民の救済のために捨身の行動をとられた。戦後,再び両先生を中心として灯はともされ,多くの先輩医師,保健婦,助産婦は乳児死亡率低減と母子健康増進を目標に努力され継承されてきている。昭和32年には,国民健康保険連合会が乳児死亡半減運動を提唱,これに県,地方新聞社,医師会も参画し,高乳児死亡10数町村に対し年2回関係者一体の母子巡回健診指導が開始された。
筆者もその一員として,また,岩手医大小児科独自に奥羽山系,北上山系,各山麓奥深く眠る町村(沢内村,川井村,岩泉町……)に夏冬休暇はもちろん,土日曜日を利用しての健診,指導が行われた。夜は各地域の部落に入り衛生の啓蒙,栄養,妊娠の生理,無介助分娩の危険,育児について講演,座談会を行い,日中は乳幼児健診,時には疾病の加療を行い自治体関係者,住民一体の骨子保健の推進をはかった。
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