連載 開拓保健婦に看護のルーツを探る・22
他者の幸福のため貢献し自らも幸福を築く
小島 ユキエ
pp.72-73
発行日 1988年1月10日
Published Date 1988/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207468
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開拓地に赴任して
昨年9月苫小牧市百村産婦人科病院で助産婦として活躍中の元開拓保健婦,牧田長さんを苫小牧保健所の須澄予防課長の案内で職場にお訪ねしました。(写真参照)
牧田さんが芽室町に開拓保健婦として赴任したのは氷点下15℃の凍る寒さの師走で,昭和25年のことです。芽室町といってもその面積は512.87平方キロ(東京23区597.11平方キロ)で数多くのへき地を抱えていました。すでに中央地区鈴木保健婦,河北地区工藤保健婦,坂の上地区堺谷保健婦が活躍しており,牧田さんは上美生の開拓地に駐在が決っていました。だだっ広いあばら屋が牧田さんの住宅です。朝,目が覚めたら,吹き込んだ雪が布団や床に5〜6糎も積もっていました。
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