特集 保健医療制度の再編と保健婦活動の課題
第19回自治体に働く保健婦のつどい集録
記念講演
生きる条件をみつめて—公害問題と私たちのくらし
田尻 宗昭
1
1早稲田大学
pp.624-635
発行日 1987年7月10日
Published Date 1987/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207353
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I.海上保安庁の仕事
私は海の男であります。昭和30年代,朝鮮海峡で韓国とのたいへんな紛争があり,日本の漁船が次々につかまった。私はそこで,その日本の魚船を守るための警備をしていました。つかまろうとする漁船と韓国の警備艇の中に割り込んでいく。煙幕を焚きながら漁船を隠して,そうして横抱きにして脱出する。そのときに韓国の警備艇から銃撃されることも何度も経験しました。こういう体験の中で1つだけ忘れられない思い出を紹介します。
海上保安庁の巡視船は大砲を積んでおり,それには撃たれたら撃ち返せという規則がありました。しかし,私たちは,現場で命を削るような苦労をしていたものにとっては,もし1発の大砲を撃ったら,ただちにこれは戦争につながるという危険を,肌で感じていました。だから巡視船の船長がみな集まって大激論を展開し,規則がどうあろうと,私たちは巡視船の船長の責任において,この大砲を撃たないことにしようと,ひそかに誓いを立てた。そして10年間のあのものすごい紛争中私たちは1発の大砲も撃ちませんでした。もしあのとき,だれかが撃ち返していたら,今日の日本の平和はなかったんだと,いまでも古い仲間に会うと,この思い出だけはひそかに私たちの誇りにしています。今日の日本の平和を守ったものは法律でも国会でもない。政治でもない。現場の無名の私たちが誓いを立てた。その誓いがこの平和を守っているんだというひそかな自負です。
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