連載 開拓保健婦に看護のルーツを探る・12
保障のないなかで昼夜住民のために奔走
小島 ユキエ
pp.124-125
発行日 1987年2月10日
Published Date 1987/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207284
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釧路から北へ34キロの鶴店村に,開拓保健婦として市川幸枝さんが赴任したのは昭和27年のことです.574平方キロ(東京23区・589平方キロ)の広大な村で唯一の交通機関は簡易軌道(バスを改造して線路を走らす)があるだけで,それも釧路湿原を横断して3時間,釧路と鶴居をつなぐのみでした.それも短い夏の間だけで,長い冬は線路が凍結して歪み,交通は遮断され陸の孤島となる村でした.
市川さんは役場に席を置き,既存農家378戸と180戸の開拓農家を対象に保健婦活動を展開しました.全住民を対象に村中を自転車で走り回る市川さんが,「鶴居村の保健婦として採用された」と信じて疑わなかったのも当然といえるでしょう.村長の責任で行う予防接種までやっていたのですから…….
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