連載 開拓保健婦に看護のルーツを探る・11
住民とかたく結ばれた絆
小島 ユキエ
pp.54-55
発行日 1987年1月10日
Published Date 1987/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207270
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貧困と病気の悪循環のなかで
開拓民は健康問題が起きると迎えにくるか工合の悪い本人を連れてくるといった毎日の連続で,本多さんは開拓農耕を夫に任せきりの状態でした.
ある日,七転八倒で苦しむ病人が運びこまれました.この人から37匹もの回虫が出ましたがなお苦しむので,釧路から標茶町に疎開してきた医師の所まで戸板で運び,「37匹の回虫が出たのですが」と本多さんは伝えました.しかし医師は回虫には全く関心を示さず,「腹膜炎」と診断し入院させました.2日後に死亡退院.驚いたことに遺体が自宅に安置されると同時に死体の眼・耳・鼻からいっせいに数えきれないほどの回虫が這い出たそうです.そのことがあってから,本多さんは腹痛を訴える住民だけでなく,感冒その他身体の不調を訴えるすべての人に,まずサントニンを服ませ,1時間後にヒマシ油を与えました.やがてフラフラになって這い出る回虫をピンセットでつまみ出し,17〜18匹も数えると,さすがに気持が悪くなってきたという本多さんの話に,私も当時を思いだしました.農薬はなく,尿尿等の自家肥料を使った時代に回虫は全国的課題でした.
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