発言席
離島と母の病気
岩本 裕子
pp.897
発行日 1986年11月10日
Published Date 1986/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207228
- 有料閲覧
- 文献概要
私の母は54歳の時,胃ガンで亡くなりました。町の集団検診を受け,精密検査をすぐ受けるようにと通知がきたのが11月下旬,大学病院で胃の手術をしたのはクリスマスイブの日でした。それから1年3か月,私は勤務していた保育園を退職して母の看病をすることにしました。1か月生きられたら3か月そして6か月,1年をすぎたら3年間は大丈夫と聞かされ,何とか一日でも長生きしてほしいと願いながら,またこの母だったら克服してくれると信じながら看病にあたりました。今はいつも母のそばにいれた私は幸わせだったと思っています。
母の病気がわかった時,保健婦をしている私の姉に帰ってきてもらい,家族で話し合いをもちました。父や私たちには,どこでどんな治療を受けたらいいかなど,医療関係のことは勝手が違ってとまどうことばかりでしたので,姉が保健婦で本当によかったと思ったものでした。母の看病に当たっても,血圧測定の仕方や顔色の見方,食事のチェック,排泄の状態などを観察して日誌に記録すること,蒸しタオルでの身体の拭き方や楽な姿勢など,姉が教えてくれたようにすると母が喜んでくれたものでした。母は最後には,大変な痛みで苦しんでいました。そばにいるのがとても辛いほどでした。
Copyright © 1986, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.