連載 開拓保健婦に看護のルーツを探る・8
開拓者の生活を支えて
小島 ユキエ
pp.846-847
発行日 1986年10月10日
Published Date 1986/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207220
- 有料閲覧
- 文献概要
時には結婚・離婚の相談役まで
今は故人となられた酒匂俊子さんをお訪ねしたのは5年前の夏でした.開拓保健婦の母的存在ともいえる酒匂さんが,北海道農地開拓部に就任したのは昭和10年.当時へき地には,100名近い助産婦が活動していたそうです.16年に保健婦制度が制定され,開拓保健婦制度ができたのは23年.道は開拓助産婦に短期講習をし,保健婦資格を取得させました.誕生した28名の開拓保健婦はそれぞれの任地で草創のスタートをしたわけです.
開拓保健婦は母性保健を中心として生活に密着した事業推進のため,当初台所改善,一般健康管理に力点を置いたが,補助金のみで生活できない開拓者の栄養補給と現金収入を目的に,鶏や山羊・めん羊の飼育など,保健婦は営農指導員・生活改良普及員と連帯して活動しました.時に結婚や離婚の相談役もつとめたと語る酒匂さんは81歳には見えぬ若々しさを感じさせました.
Copyright © 1986, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.