連載 開拓保健婦に看護のルーツを探る・19
果てしない荒野で開拓者を支える
小島 ユキエ
pp.874-875
発行日 1987年10月10日
Published Date 1987/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207402
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開拓保健婦自身も引き揚げ者
空知平野(3249.64平方キロ)に位置する美唄市の戦後開拓は,昭和20年戦争末期の都市集中爆撃による戦災者や疎開者の入植に始まり,その後敗戦による満州,中国,樺太からの引き揚げ者が入植しました。貞広梅さん自身も樺太からの引き揚げ者です。助産婦の資格を持っていたことから,夕張の炭鉱病院に勤務しましたが,病院で訪れる人を待つ仕事よりもむしろ地域活動に関心を持った貞広さんは,道庁が開設している保健婦教育を受け,免許を取得して開拓保健婦を選びました。
空知支庁開拓営農指導所に席を置き,広大な空知平野に第一歩を踏み出したのは,昭和30年のことです。担当した開拓地は,美唄でしたが,開拓者が入植して10年経過してもなお不毛の原野だったのです。
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