特集 現代の保健婦が見失ったもの
住民と共にゆっくり歩き続けたい
福森 幸子
1
1北海道古宇郡泊村役場
pp.890-892
発行日 1982年11月10日
Published Date 1982/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206597
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私の,私による,私のための……
保健婦科に進む時から,就職するならやはりやりがいのある未設置にと希望していました。当時,泊村のほかに3町村程未設置を見学して回りましたが,交通の便も割合良く,人口も3,000人程で,1人で保健婦活動を始めるにはちょうど良いと思ったのが,この泊村でした。
《一からの活動ができる!》1人でどれだけの仕事ができるのかわからないけれど,とにかくがんばろうと意気込んでの就職でした。しかし,1〜2年の間は資料集めや統計事務などをまとめる基礎資料作りだけで過ぎてしまい,こんなことをしていてはダメだというジレンマを持ち続けていました。とにかく保健婦なのだから地域を把握して計画を立てて,早く住民の中に入っていかなければ,と始終思っていました。
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