連載 三多摩の保健婦たち・7
住民のそばにいてともに歩いた—富永ナツ子さん
浦崎 貞子
1
,
三多摩会
1武蔵野保健所
pp.200-206
発行日 1987年3月10日
Published Date 1987/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207296
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はじめに
富永さんは,郷里(徳島県)の看護婦養成所を卒業し,個人病院に勤務の後,昭和22年に上京,東京都衛生局防疫課に看護婦として就職した。勤務先は,戦後の基地の街の立川保健所に併設されていた「立川性病予防所」であった。そこに勤務している時,当時の保健所保健婦婦長(熊谷きく子注1))のすすめもあって,保健婦試験を受け(昭和24年)保健婦の資格を取得した。その後,結婚して一時主婦業に専念したが,26年に立川保健所(当時は北多摩第2保健所)に再就職,以後58年に定年退職するまでの32年間,三多摩地域の保健所・保健婦として勤務した。「富永さん」といえば,私たちの間では"実践家"として知られる人である。
2年前の暮,三多摩会で「檜原村を歩きながら,妊婦さんに母子健康手帳を渡し,保健指導をしていた保健所保健婦がいた」と聞いた時"ぜひお会いしてお話を聞きたい"との思いにかられた。
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