特集 生活を根っこで支えた活動
栃木県那須地区の開拓保健婦に学ぶ
栃木県の開拓
春日 文雄
1
1宇都宮大学農学部
pp.839-845
発行日 1982年10月10日
Published Date 1982/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206586
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1.はじめに
戦後の開拓行政をおおまかに時期区分すれば,入植者が人力で開墾することからはじまって,経営の形態も一応かたまりかける昭和30年頃までの時期を前期とすることができる。それ以降,基本法農政の下での新しい動きをとらされる後期とに分けることができる。
たとえば,前期の開拓地の作物は,旧村の畑作物と全く同じといってよかったが,後期のそれは昭和32年の開拓営農振興臨時措置法によって,融資等に若干の改善がみられたものの,各農家,各開拓地に営農改善計画作成を求めた。その内容は,従来の畑穀作からの脱皮をさせ,酪農,野菜作り,果樹等に専門的に分化することを開拓地に強く求めるものであった。このような誘導政策は,のちの基本法農政が目指すものと全く同質のものであったということができるであろう。またさらに37年の第二次振興対策では,営農の見込みのない者という選別方式がもりこまれてくる。これは,農産物増産の政策の一環でもあった開拓政策が基本法農政にとりこまれていく過程での一つのあらわれである。この問題はあらためて述べる。
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