連載 活動の中から
ほりおこしというけれど(1)
吉田 幸永
1
1京都府日吉町
pp.368-369
発行日 1982年5月10日
Published Date 1982/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206519
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"ほりおこし""ほんね"最近の保健婦関係の書物を開くと,よくこんな文字が目につく。"住民主体の公衆衛生活動"もそうだ。だが,"住民主体"にしろ"ほんね"にしろ,これは住民の人々がこちらの側即ち保健婦を信頼しておこして下さる住民自身の主体的な行動であると思う。ところが私たち保健婦は珍しいものくいというのか,すぐ新しいことばにくらいついて口先だけで,その仕事即ち,ほりおこしができたかのような錯覚を錯覚と感じなくなっているのではないだろうか? この事実を昨年の暮,元鉱山労働者のほりおこしで体験した。
丹波マンガンと言えば戦時中は軍需品としてその品質が高くかわれ,当時政府は,丹波マンガンならいくらでも堀れ,金はいくらでも出すと,丹波マンガンブームが昭和初年から敗戦までつづいた。日吉でも小学校に上がるとよい金になるので鉱山へ入って家計の助けをしていた人々が大勢いる。米1升が1円50銭位の時日当15円ももらえたのであるから,マンガン鉱山へ行かない者は変人あつかいされた。そして20年を経過した今日,これらの人々に何が残されたのか……言うまでもない,それは"じん肺"という治ることのない職業病であった。が,このじん肺のとりくみを表ざたにしたのは,夫をじん肺で亡くした一主婦のほんねからである。「保健婦さん,口先だけやったら誰でも言う,検診をやってもらわんと!」
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