連載 訪問看護を確立するまで—京都・堀川病院の地域医療活動・2
初期の保健婦活動
早川 一光
1
,
谷口 政春
2
,
石井 松代
1
,
城ケ野 芙美子
1
,
斉藤 貞夫
3
1堀川病院
2堀川病院内科
3堀川病院事務・医事部
pp.164-170
発行日 1976年3月10日
Published Date 1976/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205692
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I.はじめて保健婦の参加を得て(昭和38年〜42年)
1.保健婦採用の要望高まる
第1回で早川副院長が詳しく述べたように,白峰診療所から堀川病院の現在に至たる全歴史を通じて,地域医療が私たちの医療の伝統を形成してきた。すなわち当初から日常の診療活動の他に健康管理,生活相談,栄養相談などの諸活動などが行なわれており,昭和35年には地域に老人の"長寿会"が発足し,長寿会活動,医療懇談会が盛りあがってきた。このような中で生活相談を専門に扱うケースワーカーが採用され,次いで診療部門からは外来の慢性疾患の管理,療養指導,医療相談に対応するためには保健婦がぜひ必要であると強く要望された。このように地域医療が発展する中で今まで以上に専門職の参加が必要となってきたのである。
昭和38年3月,堀川病院は第3次増改築を完成し,総合病院を目指し,大幅にベッドを増加した(50床→120床に)。当時も,増改築の資金の相当部分を地域から寄せられた。しかしこの間一時期地域医療が弱体化したのである。病院の近代化によりややもすれば施設内医療に重点がおかれ,今までの生活と結びついた医療がなくなるのではないかと地域の人達が心配をし,病院の新しい動向を注視していた。増築による近代化は,はたして地域医療を強化できるのかどうか不安をもって見守ったといってもよい。
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