特集 不死烏としてはばたく保健婦
財団法人ひかり協会ができるまでの歩み
交流を通じて思うこと
小池 まき子
1
1森永ヒ素ミルク中毒"被害者"の会大阪府本部
pp.576-577
発行日 1974年9月10日
Published Date 1974/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205516
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7月20,21日と,"被害者"の会大阪府本部で行なった加太での海水浴は,総勢24名の参加者でもって,たいへん楽しい思い出を残すことができた。この海水浴や4月の合宿,その他最近の活動においては,私達"被害者"の会と事後調査の会との結びつきを決して抜きにはできない。
そもそも大阪府本部を結成したのは1972年7月9日であって,その頃から事後調査の会との交流があったはずなのだが,私にはあまり印象に残っていない。対策会議から,交流ハイキングの申し入れがあったとき,"重症"被害者を抜きにしているというわけで,それこそ私達自身と"重症"の仲間とのつながりが全くないのをさしおいて,その申し入れを蹴ったことはおぼえている。結成前後の私(達)というのは,組織活動とはどういうものか全くわからないということに加えて,いわゆる専門家に対してよいイメージをもっていなかったことなど種々の事情で,積極的な交流をもてなかったように思う。
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