特集 不死烏としてはばたく保健婦
財団法人ひかり協会ができるまでの歩み
保健婦さん,お願い
寒川 利朗
1
1財団法人ひかり協会業務部
pp.580-582
発行日 1974年9月10日
Published Date 1974/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205518
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
森永ミルク中毒の被害者やその保護者が,長い間の苦しみと闘いの中で作り上げた"森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策案"の実現を目指して"救済対策委員会"を結成し,この"救済対策委員会"が財団法人"ひかり協会"となり本年4月27日正式に発足しました。ひかり協会発足に至るまでの経過は,今更いうまでもなく"被害者"やその保護者の"完全救済"という叫びが,"森永ミルク中毒のこどもを守る会"に結集し,運動を推し進める中で,この運動に対して人道的立場から,呼応して立ち上がった各界各層の国民の支援のもとに設立されたものであり,ひかり協会設立の意義はまことに大きいものであります。"被害"を受けてから早や20年を経過しようとする現在,救済はもはや猶予できない,20歳の春は2度と帰ってこない,というギリギリのところまできて,救済を求めている被害者に,1日も早く救済を進めていくべきだという"守る会"の願いが,実現したものです。
ところが,ひかり協会は財団法人という性格上,救済事業をやるが,あくまで第三者機関であり,森永や国の責任を肩替わりし,免罪するものに過ぎず,悪名高い過去の第三者機関であって,被害者は結局裏切られるのではないか,という不安が一部にあります。
Copyright © 1974, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.