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学問的内容にならないけれども希望をひとつ述べておきたい。先日,MünchenのDeutsche Forschungsanstalt fur PsychiatrieからW. Schlz教授(1889〜1971)の追悼文の別刷と研究所のAnnualReports(1966〜1971)を送ってもらった。前者はArch. Psychiat. Nervenkr. 215(1972)ですでに読まれた方々も多いことと思うが,われわれの研究領域におけるこの巨星を失っていつの間にか2年半が過ぎた。Scholzの経歴を再読して,あらためてTübingen大学を卒業したてのScholzが大成するまでの屈折した路と,残した業績に深い感銘を受けたものである。Scholzが若くしてSpielmeyerのあとをおそってDeutsche Forschungsanstaltの所長に就任して以来,第二次大戦の戦中戦後の研究所の維持と発展に尽した偉大な足跡を,同じような体験を持つわれわれは一種の感慨をもって見ずにはおれない。その後,所長がG. Peters教授に代ってから付設されたInstitute of Clinical Researchを含めた研究所の新しいシステムと方向は,Scholzの将来の広い見通しの上にたてられたものだったろう。この新装なったDeutsche Forschungsanstalt fur Psychiatrie(Max-Planck-Institut fur Psychiatrie)の陣容と規模から,われわれはドイツ神経精神医学研究の新時代への出発に対するすさまじい意気ごみのほどを窺い知ることができる。わが国でいえば白木教授主宰の府中療育センターのようなものである。新しいDeutsche Forschungsanstaltはドイツ人の計画性と合理性を余すところなく表現している。研究に必要なあらゆる細かい配慮がなされているが,それは機械器具のみならず人の面についても同様である。現在の同研究所のシステムと研究者の名前をみると,それらから,新しい研究方向への意欲と準備が十分に読みとれる。実際そこにしばらくの間でも滞在してみると,直接の研究設備は勿論のこと,その機能を支える技術員等の下働きから研究所員のための食堂や宿泊施設にいたるまで,至れり尽せりの機構が作られていることを知る。だからわれわれ外国人が,1〜2週間の勉強のために一寸立ち寄ったときでも,何も持ってゆかなくともすぐその日から自分の研究所に居ると同じ気持で標本を見ることができる。われわれGästeがある標本を見たいと思えば,担当の技術員が即座に必要なものを選び出してくれる。部室と机と紙,鉛筆と顕微鏡を用意してくれる。顕微鏡写真をとりたいと思えば必要部分に印をつけて写真室へ持って行く。ここで写真の専門家が写真をとってくれる。拡大を指定して2〜3日待てば綺麗な望みの引伸ばし写真が出来上がってくることになっている。こういうシステムはVogt研究所ではもっと徹底していた。初め弱拡大でÜbersichtsbildをとり,その中の必要な神経細胞や部位に印をつけ,拡大を指定して写真室へ回しておけば,やはり2〜3日中に出来上がって標本やÜbersichtsbildとともに研究者の机の上に置いてある。200枚位の写真ならわけなくできるのである。わが国では,古い大学なら別だが,写真専門家を雇うことはまずできない。下手くそな写真を,自分で何回も失敗を繰返しながら腹をたてたてやっているのが現状である。したがって他所から短期間来られる人にはとてもサービスなどできないし,前から居る研究者の時間と研究費の莫大な浪費にもなる。しかも一流の品はできない。こういう素人目にはわからない彼我の大差がこの先,益々拡がってゆくであろう気がする。だから,わたしは,こういう条件下でもなおかつ一流の研究をし遂げてこられた日本の先輩達が非常に偉かったと思うが,そういう研究態勢はもう今後は通用しない。家庭をも犠牲にして研究に打ち込む特志家に支えられ,それでも何とかやれていた時代ではもうない。スペインの学者に聞いた話では,政府に研究費の増額を要求したところ,「カハールは硝酸銀であれだけの仕事をしたではないか」と一蹴されたそうである。なるべく安上りに学問をやり,目に見えない基礎研究には金の出し惜しみをする愚を改めるよう国民の側の認識と支持を求めたい。
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