ニュース診断
原水禁大会と米戦車阻止
久米 茂
1
1深夜通信
pp.70
発行日 1972年8月10日
Published Date 1972/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205127
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自分がやれることはなにか
8月初旬,原水禁世界大会(原水爆禁止国民会議主催)の国際会議が東京で開かれた。私は機会があってこれを傍聴した。国際会議というからには,世界じゅうからたくさんの代表が…と,思われるだろうがそうではなかった。10か国に満たず,そして20人前後の出席だった(それと日本人が30人とちょっと)。なんとも寂しいことだが,これまでの経緯からこれはしかたのないことである。というのは1955年に始まった原水禁運動は,大気・水中などを死の灰で汚染させることをやめようという,いわゆる部分核停条約の評価をめぐって,1963年に分裂したのである(共産系の原水協と社会党・総評系の原水禁と。私が出席した上記の大会は原水禁。そしてこの条約を支持するという立場に立っている)。以来,原水爆をやめろ,という運動は精彩も盛り上がりも失って今日に至った。"そうではない"という向きがあるなら問う。「市民として国民として参加した人びとが,かつてあれほどいたのにいまいないのはどういうわけか」と。
いや,失礼,こういうことを述べようというのがこの欄の目的ではない。出席の感想を記さねばならぬ。主催者の新しい見解あるいは方針と思われたのは,①アジアの平和を確保するために沖縄の核基地撤去を迫る ②ベトナム戦争をやめさせることに力をそそぐ ③これまでの実験でこうむった被害の調査とその補償を国際的に呼びかける――の3つだったと思う。
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