現代のカルテ
第9回原水禁大会から
野口 肇
pp.48
発行日 1963年10月1日
Published Date 1963/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202633
- 有料閲覧
- 文献概要
スッタモンダの大あれだった第9回原水爆禁止世界大会は,とにかく8月5日〜7日まで,さいしょの原爆被災地である広島市でひらかれました.それにしても事前から内部対立があってゆれ,一時は中止かとハラハラさせられました.そしていざ開幕となったが,社会党・総評など有力な組織は不参加ときめたしだい.主催者も日本原水協が辞退して広島県原水協になりました.いやもう土地柄にくわえて暑いことでしたし,会場にはおさだまりの全学連がのりこんで気勢をあげました.社・共それぞれを中心とする双方の対立は,ぬきさしならぬ激突をみました.社会党・総評系は,さきに日本原水協の申し合わせた「いかなる国の実験にも反対」やこのほど米ソで調印した「部分核停協定」の評価でするどく対立しました.それに大会代議員章の水ましで紛糾といったものが山積していたわけです.事実上,原水協の分裂です.おかげで例年の国際会議はウヤムヤ,テーマ別分科会も会場をとられ,野天でそれぞれもちました.
そして最終日,双方の争点である「いかなる国」の核実験への賛否,部分核停協定の評価のちがいは,慎重にさけ,ポラリス潜水艦の寄港阻止,F105D原爆爆撃機の拒否に当面,運動の全力をつくすという,例年の決議ではない,まとめという文書をだして閉幕したのです.むろん社会党系はおわりまで欠席ボイコットのままで,あと味のよくないことでした.
Copyright © 1963, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.