特集 保健婦の歩んだ道
米國
pp.19-24
発行日 1951年7月10日
Published Date 1951/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200106
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日本の保健婦事業の見本になつた米國の巡回看護事業は,大病院と密接に結びつき,慈善又は傳道の一般人を對象とする奉仕の一部としてはじめられたのである。1877年に,其の最初の仕事がニューヨーク市に於て行われたが,其の時の最初の巡回看護婦は,エフィ・ベーネディクト女史であつた。次いで1886年にはボストン,フィラデルフィヤ,1889年には,シカゴ,1891年には,カンザス,翌年にはバッファロー,1895年にはセントルイスと,次々と事業が行われ,1950年以後は,社會事業が一つの職業として發達し,主要大學の課程でも之を取扱うようになつたので,一般社會事業と共にこの仕事も急速に進んだのである。社會福祉事業と相互に扶け合う看護婦事業は,看護セツルメントとして發達した。その最初のものは,1893年に,リリアンワールド及びメリーブリュースター両女史の手によつてはじめられた。これが有名な「ヘンリー街セツルメント」なのである。
ヘンリー街の貧しい家庭の一軒一軒に,絶えす看護の手をさしのべるべく保健婦が巡回し,他の地域にみられない死亡と罹病の高率なのと戰いつづけて來たもので,これが今日のアメリカ中を風びしている「訪問看護婦協會」の發祥になつたものといわれている。
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