グラフ
患者にとって家族とは
川上 重治
pp.2-8
発行日 1971年5月10日
Published Date 1971/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204911
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僕は未だ入院するほどの患者となったことがない。だから患者の立場になって仕事ができたかは不明である。一昨年だったか,じんましんの激しいとき,とても入院したかった。病気そのものもあったが,それよりも僕は,このとき見舞にこなかったもの,便りをよこさなかったものをチェックして,一生つき合わない心算で,ためしてみたかったからである。昨今の状況はこんな気持を起させるほど,僕自身健康的でないのかも知れない。
僕は2才下の弟に母の乳房を独占されて,弟に灰を投げかけ,弟はあやふく失明をまぬがれたということを後年母より聞いた。この弟も,戦後,僕が学校の教員時代に,5年間胸を病んで死んでしまった。僕の給料が千数百円のとき,弟のストレプトマイシンは2千円であった。これを手に入れるためのみに母と僕は働いた。最後には弟は医者からも見放され,そのため僕自身の手で弟のおなかに,モルヒネの注射をしなければならなかった。
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